「金は興味ない」の嘘。
2年前、日本一周やインド旅行に行き、今の友人たちにあった時。僕は「お金稼ぎにそこまで興味ないです」的な立ち位置でした。
自分の会社はあったけど、一旦おやすみしようとゆるく走らせ、あまり加速させませんでした。しかし今は真逆。売上を追求します。
どんな心境だったか以下の文章が的確に表現していたので紹介します。ナヴァル氏の本から引用しつつ、「金は興味ない」の嘘を紐解いていきます。
人が人生で行う大きなゲームは2つある。1つはお金のゲームだ。
〜中略〜
「金儲けはけしからん。金儲けなんかすべきじゃない」と言って、ビジネス界全体を攻撃する。でも実は彼らは地位のゲームという、別のゲームをしているだけだ。自分のほうが偉いということを他人にアピールするために、こんなことを言う。
「お金なんか必要ない。お金なんか欲しくない」。地位とは、社会階層内での君の立ち位置のことだ。
「金は興味ない」のではなく、勝てないから角度を変えている。
お金を稼いでいる人相手には別の角度から入る必要があります。それはその人が金では簡単に買えない領域に落ちています。最近だと孤独、暇が多い。これはユッキーさんのメルマガにて紹介されていた「一流の成功者に気に入られる営業術」がかなり的確だったかと思います。
僕は「金稼ぎを追わない」という時期は一気に収入が落ちました。しかしビジネスを追わず、遊びや幸福を追うことで出会えた人は友人として今も繋がっています。
資本主義レースから少しズレると同じ悩みや趣味を持った仲間に出会えました。金を目的に動いた時期は出会った人たちは損得で付き合うことがほとんどでした。別に悪いことではないですが、長期的な仲間は趣味や遊びから見つかることが多いと実感しました。
個人的には、稼ぐ→休んで遊ぶ→稼ぐをローテーションする。そうして進むのが楽しいんじゃないかなと思っています。
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「金は興味ない」の理由を別視点で見る。
僕が24歳ぐらいから独立しよう!金稼ごう!と思ったわけですが、進んで色々見ていくと世界の流れが変わっていきました。コロナなどの影響もあり、トレンドワードは鬱、病んだ。などの言葉です。
そうして生まれたバズがこちらの引用箇所です↓
どんな最終目的も次の目的を生み、それがまた次の目的を生むだけだ。人生はゲームの連続だ。成長したら学校のゲームをして、社会のゲームをする。それからお金のゲームをして、地位のゲームをする。ゲームにかける時間はどんどん長くなっていく。
そしてあるとき、どんなゲームもただのゲームでしかないと気づくんだ。少なくとも私はそう思っている。ゲームの本質を見抜いてしまうと、結果はもうどうでもよくなる。
そうなるとゲームに飽きてしまう。私は、このゲームに飽きた段階にいると思う。こういうゲームにはどんな最終目的も意味もあるように思えない。私は人生をただ生きたいように生きている。一瞬一瞬を好きに生きているんだ。
さらにブロガーのマナブ氏の言葉を引用します。
「結局は卵が先か鶏が先か。何を最初にするかは関係ない。」
順番は関係ない。目的を目指して継続するだけ。という趣旨が見て取れます。ここまで考えて思うのは「稼ぐ前から一瞬一瞬を好きに生きていけばいいんじゃね?」ってことです。
稼いでから自由になるのではなく、稼ぐ前から自由になり、幸福に生きていく。好きな仕事だけをしてストレスなく生きる。だって、「ゲームの本質を見抜いてしまうと、結果はもうどうでもよくなる。」んだから。だから「人生を幸福にする。」を目標にしてきました。
数年経った今、「また稼ごう!」となっています。今はそれが楽しい。先日までは勝手に焦っていたけど、やっと落ち着きました。プレッシャーがある方が楽しい。
しかし疑問です。果たして自由を手に入れた人類は次どこに向かうのか。
イーロンマスクは自分の幸福は「最高の仕事仲間と仕事することだ。」といっていました。(AIで探してもソースが出なかったので人違いかも。)
その節から億万長者には仲間を作るのがいい。と思ってましたが実際はどうなんでしょうか。同じ悩みや趣味を持った仲間たちとはビジネスをやるイメージがなかなかできない。友人すぎて難しい気がしています。そこの壁を壊すべきなのか、それともチームは雇用関係にあるべきなのか、迷っています。
これはこれからの課題です。この本を読んでいくうちに回答が見つかるかもしれません。興味あれば登録して待ってくれると幸いです。毎日読んでいるのでじわじわ発信します。
果たして、億万長者は自由を手に入れてどこに向かうのか。江戸時代のように堕落していくのか、興味深いところです。先をイメージできると実現できるが僕の考えなのでその先までイメージしてやる気に変換していきたいと思います。それでは金曜日なので全力で楽しみましょう。