龍馬が使った仲間を集める魔法について
こんばんは。
昨晩、ヒロアカのサイドストーリー。ヴィジランテにハマりましたマサトです。
そして遂に、「龍馬がゆく」を完読しました。ゆーーっくり他の本も読みつつ進めたので全8巻を読み終わるのに半年?ぐらいかかりました。
そして号泣しました。
大政奉還で泣きました。その後、中岡慎太郎とともに死ぬ時に泣きました。
剣で斬られ、白い脳みそが吹き出しているのを手にとって見た後、「脳みそが出てる。もうゆく」と行って天に帰っていったそうです。
その瞬間、別の場所では龍馬の写真を託した友人が謎の突風に遭い、お守りにしてた龍馬の写真を紛失したり、日露戦争で夢に龍馬が出てきたり。何かと龍馬は神の使いだったのではないか。と思う事件が多く残っているそうです。
作者の司馬遼太郎自身も「つまらなく考えればそれは妄想や後付けの範囲」的な言葉を本に綴っていますが、そりゃそうだ。と思う反面、日本を救った坂本龍馬という人間は天の使いだったのではないかと思われる節があります。
と、いうのも坂本龍馬は自分自身、大政奉還の後新政府設立について「自分の最後の仕事」というセリフを吐いており、その仕事が終わると約3日後に不運にも暗殺されてしまいます。
暗殺されたその日は特に変わらぬ日常で少し風邪を引いていた。そしていつも通り「ここは危ないから藩邸にこい」と言われ断っていた。「自分は天命に従うのみである」と。
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暗殺された後は「誰がやったか?」という話で仲間たちは躍起になって探し回り、とうとう内戦まで起きました。
そこまで仲間を集めることができた龍馬は何が魅力だったのか。人を集める力とはなんなのか。
司馬遼太郎は「龍馬がゆく」にて龍馬という人間はなぜここまで大事を成せたのか、について考察し、以下のように紹介されています。
「私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。人が集まることによって智恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。」(『竜馬がゆく(八) (文春文庫)』(司馬 遼太郎 著))
自分の欲望やエゴを抑え、見返りを求めずにいることが龍馬が人を集めれた理由であると。
今、この言葉を目にしたのは俺の天命だと思う。自分の欲を持って人と接したとしても、それは決していい結果を生まない。そして人は集まらない。
龍馬は自分の欲ではなく、日本国のために人生を賭けた。回天後は「自分は海外にでも出て、船に乗ろうかな」という事を話しており、せっかく新政府を作ったのにその権力を一ミリも欲しがらなかった。
当の本人は1日1時間〜3時間程度の睡眠、(しかも移動中の船の上など)でしか寝ておらず、現代と比較しても相当体を酷使していたに違いない。
また常に命を狙われ、闇討ちに何度も遭っている。しかし彼ら全て勝ち、しかも殺さないで戦闘不能にして立ち去る。圧倒的な強さを誇る。
そこまでに全力で動きながら、自分の利益は一切ない。そんな人間がいるわけない。と思ってしまうが坂本龍馬がそうだった。
そして、敢えてこう捉えよう。
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今、本を読み終わったことは俺の天命であり、龍馬からのメッセージである。
「仲間を幸せにしたいなら、私欲で動くな」
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俺の叔父は仲間を大事にしすぎて会社が潰れたらしい。叔母はしきりに「大事にしすぎた。払いすぎた。解雇するなどすれば良かった」と言った。しかし同時に「社員にも家族がいた。仲間であり、家族だった。切ることはできなかった。」
不況はオイルショックの影響が大きい。しかし淡白な会社であればコストカットして生き残れたであろう。しかしそれはできなかった。
自分は同じ道を選ばない。と思いつつ、私欲を捨てる。生き残っていれば、また救えるチャンスが来ただろう。冷静な判断が大事である。
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進み、チャレンジすることで多くの仲間が集まる未来がイメージできた。私心を去って、自分をむなしくしておくことで次の未来を切り開こう。
人間、何度も忘れるだろうが。その度何度でも思い出そう。未来はすぐそこに。
今日はここまで。おやすみなさい。