僕たちはどう生きるか
ジブリ「君たちはどう生きるか」を遅くなったけど、鑑賞した。
塗装屋の友人から「あれは見といた方がいい」と言われたからだ。
最初の感想は「悲しい」。
冒頭から田舎へ移るシーンまでで自然と涙が出た。
母親へもっと甘えたかったであろう
愛されて育ったと言えるだろうが、そこには苦しさもある
自分が見ている世界と他人が見ている世界はもしかしたら違うかもしれない
たまに偶然的にも世界の見え方が変わって見える時があるが、そのせいで変わった世界は実は真実なんじゃないかと思わされることがある。
その角度から世界を見ると思いのほか多くがその角度から語られている。
これは幻想であろう。そう思うことで正気を保つことができる。しかし81億もいる人間の中には私が幻想であると思っている世界が多感に見えている人間もいることであろう。
そんな人間が生きていた人生をそのまま書いている作品だと思った。
もちろん「異世界がこの世にある」「喋る鳥人間が存在している」と言う話をしているわけではない。
ある一定の脳みその作りの人間は感受性が豊かであり、その上で強烈なストレスなどを受けた際におおよそ幻覚とも言える世界を覗き見できるんじゃないか。
そして宮﨑駿は今回それを表現したのではないか。
ー
考察も出ているので見てみた。
考察を見ているうちに思ったことは、「この映画は考えることができる作品である」と言うことだ。「考える」とは頭のいい人がやることではなく、人間に与えられた幸福な能力。
「つまらない」と終わらせてしまうのもありだが、人生最後のようなタイトルがつけられたこの作品にはどんな思いや自己投影をしているのか。そうやって見る前から想像させた。
その上で何をそこに見たかと言うことに価値があり、解説している人がすごい、とか正しいとかはそもそも存在せず、あなたが何を受け取ったか。君たちはどう生きるか。と言うのがテーマなのではないかと思う。
僕は冒頭のシーンで母を思う少年を見て、もっと母親に甘えたりしたいだろうか?と自問自答した。
答えはとても複雑である。甘えたいと考えている自分もいつつ、恨んでいる自分もいる。こんな歳だから一人で生きるべきであると思いつつも、なぜ肯定してくれないのか、なぜ素直に応援してくれないのか。そういった面での恨みも出てきている。
そしてもし、親がもっと自分を甘えてもいい環境にしていたら、自分はもう少し早く自立していたように思う。
ー
人間は意識の集合体である。と言う言葉を聞いたことがあるだろうか。
やりたい、やりたくない、欲しい、欲しくない
いろんな逆の意識を持ち合わせ、複合的な理由により、明確な1つの意識を生み出す。
僕が今仕事をしたくないと思い、メルマガを書くことにしている今この時間も、
僕は仕事をしたくないと言う結論を生み出している
その結論に至るまで
仕事やることが無限で終わらない
細かいタスクが多くて億劫
道の途中が抜けている箇所が多すぎて、調べる必要がある
などなど、そういった感情が結果的に別のことに逃避するという行動を促し
現在メルマガなのか、メモなのかわからないこの記事を書いているわけだ。
ー
そんな午後、「なんのために発信するのか?」
というイケハヤさんのメルマガが届いた。
なんのために発信するか。
→未来へ自分の感情を残すため。
メルマガなのにビジネス要素を消したいと思いつつなんか40%ぐらいはビジネスしてる。今のメルマガの発信状況はまるで自分の人生の鏡のようなとも感じる。
やはりビジネス系になりたいと思うことはなく、どうにかエンタメや音楽といった方面に進もうとする。その理由を自分で逆算して見ると結局は自分がどう見られた時カッコいいと感じるかに起因している。
んでかっこいいの定義は人それぞれ。俺の場合は最近気が付いたことだが、年下の人間に胸を張った人生を語れるか。が大きな理由だと感じでいる。
じゃあ、今の人生は胸を張って語れるか?
ちょっとそれはわからない。
仕事だけに振り切って生きていく道だってあるんだろうが、それができない。
多分それは仕事だけやってる人に憧れないから。
しかし今のどっちつかずな自分はとてもつまらなく、レベルが低いようにも感じる。
ただ考えて、自分の納得した答えを見つけるまで、こうやって悩み考えながら走り続けるのだろう。
そして頭のいい人間はこの先のステップでものを考え、あえて絞り、行動するのだろう。
インフルエンサーもそうじゃない人間もすべてそれが性格であるとまとめると
人間は優劣ではなく、ただの違いだとわかることができる。
そして自分が特出していると考えている部分については
実はそれはただの性格であると考えなければいけない。
そんなことを考えている週末です。
最近、映画、漫画、本を結構多めに見ていますが、やはり楽しいですね。
あなたはどう生きますか?
僕は今の幸福と限られた時間を楽しく生きていきます。
出会って終わった知り合いたたくさんいるし、いなくなった友人やもう会わないだろうなって海外の友人もたくさんいます。
別れたから悲しいではなく、今を楽しくいきます。
問題は先送りにすると後で死ぬほど辛くなります。
僕は一つの問題を最大限先送りにしたら、最近とても辛いことがありました。
でもその先に新たな幸せも生まれます。
幸福は先送りにするといなくなります。
若い時頑張ればあとが楽。
確かにわかるけど、あとっていつなんですかね。
いつビジネスやめますか?やめても暇だから働きますか?
だったらずっと微楽で行きますか?
僕は最近、微楽ルートを歩いてますが、鬼ワークが楽しい時期も来るので今は鬼ワークに向けての助走をとっています。
まぁこれもただの楽しているイイワケなんだろうけどね。
どう生きますか?
友人を作ります。